今回は岡本 太郎さんの「自分の中に毒を持て」こちらを解説して参ります。
岡本太郎さんと言えば、日本を代表する画家、芸術家としてご存知の方も多いと思います。
代表作は、なんといっても 『太陽の塔』ですよね。1970年、大阪万博で披露された誰もが一度は見たことがある作品です。
さぁ、そんな岡本太郎さんが書かれたこの本ですが、随分、怪しげなタイトルです。
どんな本なのか一言でいうと、自分の人生を後悔なく歩んでいくための自己啓発本です。
500円くらいの薄くて安い本なんですが、こんなに値段と書いてある内容が釣り合わない本は、珍しいんじゃないでしょうか。
そう言ってもいいぐらい、この一冊には数値化し難い『価値』があります。
今日は、その内容と魅力についてタップリとお伝えできればと思っています。
次のことに当てはまる方は特におすすめです…
①自分の” 気の弱さ ”が許せない方
②情熱を燃やせるような” やりたいこと ”が見つからない方
③” 継続力 “がない方
④いつも人と比べてしまい、” 自信喪失 “しがちの方
⑤強い” 意志 “や” エネルギー “が湧いてこない方
⑥すべてが中途半端で、自分には” 価値 “がないと思っている方
⑦なんともいえない” 孤独感 “がある方
⑧” 幸せ “とは何なのか見失ってしまった方
これに一個でも当てはまれば、見ていただいて損はないかと思います。
全部、当て嵌ってしまった…という方は、もうバイブルとして今すぐお買い求めください。
ただ、一見しますと、人を元気づける『成功者の言葉』みたいに捉えられがちなんです。
けれども、この本の真の魅力、本当の面白さはそこではありません。
「岡本 太郎」という人物と、彼の言葉と、アート作品、これらが一繋ぎになることで、この500円の本が爆発的なメッセージ性を持つアートに変貌するんです。
是非、そういったところにもご注目いただきながら、最後までお楽しみください。 それでは、参りましょう。
自分の気の弱さが許せない人へ
~以下、本の内容を抜粋~
「自分はそういう人間だ!」
「ダメなんだ。」
まずは、それをストレートに認めなさい。
「そんな気の弱い事でどうする」と自分を責めても、自分の気持ちは決して強くならない。
むしろ「自分は、気が弱いんだ」と思って、逆に強くなろうとジタバタしない方が良い。
これは『諦めろ』という意味ではない。
自分は気が弱い事を自分で『認めてしまえ』とそう言っているんだ。
そうすれば、何かしら自分なりに積極的になれるものが出てくる。
無条件にやりたいと思えるもの、情熱を傾けられるもの、それが見つかる。
もし、それが見つかったら、もう人がどう思うとか、他人の目は気にするな。
萎縮せず、ありのまま生きなさい。
情熱が見つからない時も、この姿勢が大事だ。
駄目なら、駄目人間でいいと思って、駄目なりに「自由に」「制約を受けずに」生きていくんだ。
そうすれば、必ず何か見つけられるチャンスが、自ずと開けてくる。
一日でも早く、そうするといい。
はい!
ここで言っているのは、変に力んで自分を変えなくていい、 ”そのまま”でいいよ、という事です。
今、ネットで色々と自分を変える方法とか、スキルとか、まぁ探せば一杯出てきますよね。
「科学的にはこうするといい」とか「もうイイよ」というぐらい出てきます。
でも実際、どうでしょうか?何か変わりましたでしょうか。
きっと、変わった事もあるんだと思います。
でも、実際変わらない事の方が多かったんじゃないでしょうか。
例えば、もともと根暗の人が、急に芸人さんみたいに明るくなるとか、もう『方法論』でどうにかなる問題じゃないこともあるわけです。
本来の自分ではない自分を演じても、ぎこちなくなったり、痛々しくなったり…そして、また そんな自分を責めてしまう。
まずは、ありのままの自分を認める。
その次のステージにあなたが一生をかけて、情熱を傾けられる夢があるんだ、そう言ってるわけです。
でも、言うのは簡単ですけど、なかなか見つからない。
そんな情熱を燃やせるようなやりたい事がない人に対して、岡本 太郎さんは一言こう言われます。
「無条件で生きろ」
この言葉は、本書で何度も強調されている 重要なワードです。
ただ「無条件で生きる」というのは、意味が分かりづらいですね。
例えば「英語を習いたいんだけど、今年は時間が無いから来年始めよう」とか「旅行行きたいんだけど、ボーナス出てからにしよう」とか「ランニング始めたいんだけど、気温がもう少し暖かくなってからにしよう」とか「婚活パーティー行きたいんだけど、もうちょっと痩せてからにしよう」とか…。
まぁ、こうやって「もし、△△したら〇〇しよう」というように、自分の生き方に条件を付けていませんか? と、言っているわけですね。
そうじゃなくて…
「ちょっとでも情熱を感じたら、いますぐやりましょうよ!」
「チャレンジして、失敗してもいい。やりたいことを力んで、見つけようとしなくていい。とにかく、ちょっとでもモチベーション曲線が上を向いたら、それを無視しちゃダメです。いちいち条件とか考えずに 飛び込んで行きなさい。それを繰り返していく内に、自分の中に燃え上がる何かが見つかるんだよ。」
そういう事を言ってるわけです・
あと『読書』についても、自分自身との対話という意味で、強く薦められています。
特に、思想的な本・小説なら、割と真面目な小説。生き方を見極められるような本ですね。
それを読んで『運命全体』を考えなさいとのことです。
では「仮にやりたい事が見つかったけど、その情熱が続かなかった場合はどうすればいいの?」という方もいらっしゃると思います。
それに対して、岡本 太郎さんはこう言われます。
「3日坊主でかまわない。その瞬間に全てを懸けろ!」
どうでしょうか。
『継続は力なり』『石の上にも3年』なんて言われますが、『家庭教育』『学校教育』において、継続することの重要性は幾度となく強調されてきました。
それだけではありません。
メディアでも、例えばイチローさんのコツコツした地道な努力を何度も見ては、『私たちもこうあるべき!』『これぞ、成功者の鏡』『人としてあるべき姿』そうやって刷り込まれてきました。
もちろん継続性、それ自体の素晴らしさは否定のしようがありません。
しかし、一流のアーティストでもある岡本 太郎さんが、美的感覚を覚えるのは、そこじゃないんです。
「ちょっと、始めてみようかな?」と思うその瞬間、自分の薄暗い心の中でボヤッと光る、僅かな灯火、その一点のみを見つめるんだ!そして、それに全てを懸けるんだ!と、そう言っているんです。
「継続できなければ意味がない」という常識…それに囚われ結局、何もできずにいる人が一体、どれだけいるでしょうか。
3日坊主の自分を責め続けてきた人の苦しみを解き放つような言葉ですよね。
人と比べてしまい ”自信を喪失”してしまっている人へ
さぁ、次のテーマは人と比べてしまい ”自信を喪失”してしまっている人です。
なるほど!確かに最近では こういう方が多いなんて、よく耳にしますが、いかがでしょうか。
特に、SNSをやっていると、輝いている誰かと 今の自分を比べてしまう。そして、自分の実力の無さ 自分の生活レベルを卑下していまい、結果、自分に対する 自信がなくなってしまう。
一度ぐらい、そういうご経験はないでしょうか?
それについても、岡本 太郎さんはハッキリこう言われます。
~以下、本の内容を抜粋~
自信なんてのは、どうでもいいじゃないか。
そんなもので、行動しても碌なことにはならない。
ただ僕は、”ありのままの”自分を貫くしかないと、覚悟を決めている。
それは、”己自身”こそ最大の敵として、容赦なく戦い続けるということなんだ。
頭が悪かろうが、顔が悪かろうが、財産がなかろうが、それが自分。それが、絶対なのだ。
そもそも、自分と他人を比べるから自信などというものが、問題になってくるんだ。
自分の信じている事、正しいと思う事に脇目もふらず、突き進むんだ。
私は、自信に満ちているように見えると言われるが、自信などを持ちたいという卑しい考えを持たぬよう、自分を突き放しているだけなんだ。
自分で自分を最低の悪条件に、突き落とすんだ。
最大の敵は自分!
ならば、己を殺せ!
それが、人生の極意だ。
自信なんてのは、相対的な価値観だ。
誰より上とか、下とかそういう考えに囚われている『証拠』だ。
人間はもっと、『生きる』とか『死ぬ』とか、そういうラインを越えた「絶対感」によって、生きなければダメなんだ。
はい!徐々に激しさを増してきましたが、いかがでしょうか。
人間は得てして、他の誰かと比べたがります。
それは、あらゆる物事を相対的に見るようプログラムされているからです。
給料が高い、身長が高い、 容姿が良い、それは、比べる他者が居るからこそ、そのように認識できるわけです。
これは『自己評価』に限らず、物事を選択する時もそうですよね。
こっちの方が『お得』だ、こっちの方が『儲かる』、そういう人間の行動特性、心の動きは、今やあらゆるビジネスで応用されています。
岡本 太郎さんは、そんな常識やフレームの中で生活している私たちに「いますぐ、外に出ろ!」と叫んでいるのです。
メンタル系の本を何冊も読んで、あーでもない、こーでもないと、頭で考えるより、こういうパワーワードに触れる方がよっぽど心に響くという人も多いんじゃないでしょうか。
個人的には…
「絶対感によって生きろ」
この言葉が、一番好きですね。恐らく皆さんも、この本を読めば 必ずグッとくる言葉が見つかるはずです。
ただですね、自分をキツイ環境に放り込むって、なかなかできる事じゃないですよ。
そんな強い意志、エネルギーが湧いて来ない人に向けて、岡本 太郎さんは、このように言われます。
~以下、本の内容を抜粋~
画家にしても、才能があるから絵を描いているんじゃないかとか、情熱があるからそこまで行動ができるんじゃないか、と言う人がいる。
勘違いしてはいけない。逆だ!
何かやろうと『決意』をしているから、意志もエネルギーも噴き出してくるんだ。
何も行動していないで意志なんてものは無いんだ。
「自信はない。でも、とにかくやってみよう!」と決意をする。その、一瞬に賭けてみろ!
それだけで良い。
いや、それしかないんだ。意志を強くする方法なんて無い!
そんな、余計な事は考えるな。本当に、君が今やりたい事に全身全霊を懸けて、集中するんだ。
何度も言おう!上手くいくとか、いかないとかそんな事はどうでもいい。
結果は、関係ない。
自分の運命を懸けるんだ。そうすれば、必ず意志は湧いてくる。
いかがでしょうか。だいぶ熱いですね。
難しく余計な事を考えず、もっとシンプルでいい。シンプルにやりたい事に集中しなさい。
あれこれ、自分を弄くりまわさないでいい、そう言っているんです
心の重荷が取れると同時に、炎が宿るような熱い言葉に徐々に、こちらの心も熱くなってきますね。
もしかしたら、人によっては、自分も情報発信してみようとか、副業してみよう、転職してみよう、なんかちょっとそういった一歩踏み出そうという気持ちが出てきたんじゃないでしょうか。
ただ、まだ心のどこかにこんな気持ちはないでしょうか。
僕は、自分に”自信”がないというか そもそも、中途半端なんです。
歌にしても、喋りにしても、仕事にしても、全部が中途半端で価値を提供できるものが多分ないんですよ。だから、やっても意味があるのかなって。
なるほど!それでは、全てが中途半端で、自分には価値がないと思っている人に向けた岡本 太郎さんのご意見を聞いてみましょう。
全てが中途半端で、自分には価値がないと思っている人へ
~以下、本の内容を抜粋~
本当に生きると いうこと。
それは「いつも自分は『未熟』なんだ」という前提で、且つ、それを平気だと思って生きることだ。
それを忘れちゃいけない。
『熟す』というのは、技能や熟練とは関係がない。
これは、私の信念だ。
「芸術は勿論、スポーツも、歌も、会話も、全て下手ならむしろ下手こそいいじゃないか」そう思って、平気でやればいい。
もっと、もっと下手にやろうと決心すれば、かえって人生が、面白くなるかもしれない。
逆に、歌やスポーツや、会話の上手い奴に限って、世間の型や、基準の基に決められ、それに慣らされている人間だ。
だから、上手い奴ほど、どのくらいの位置に自分がいるのか、まず、基準の方を先に考えてしまう。
しかし、そんな基準なんて無視だ!
下手は下手なりに、自分は下手なんだと自覚をし決意をすれば、もっと、自由な歌い方もできるし、スポーツにしてもなりふり構わず自由に動くことができるだろう。
「下手なら、なお結構!」
これは、私が昔から言っている事だ。
例えば、うまいと評判の『絵』や『歌』にしてもちっとも感動しない。
だからといって、下手であることを ジメジメ認めてはダメだ。
そうじゃなくて、『自由に』『明るく』 その人なりのユニークな下手さを押し出すんだ。
そうすれば、逆に その下手さが生きるあなたの魅力に変わるんだよ。
はい!いかがでしょうか。
心の空気を入れ替えてくれるような清々しいパワーワード連発ですね。
岡本 太郎さんは無条件で生きることの重要性を強調されていましたが、正にココだと思います。
「自分は下手だから、もうちょっと上手くなったらやろう」「もうちょっと、練習してからやろう」
確かに、そうなっちゃうんです。
でも、やろうと思った時。その一瞬、あなたの心の中で、パッと光る小さな灯火…。
それに、全てを懸けろ!ということでしたよね。
なんか徐々に、新しい事にチャレンジしたい気持ちが、湧いてきましたね。
孤独感を感じる人へ
さぁ、次のテーマは「孤独」についてです。
挑戦者には 必ず付いてまわる孤独感。これについて岡本 太郎さんの言葉を聞いてみましょう。
~以下、本の内容より抜粋~
「孤独だ」という人は もっと激しく、自分を突き放してみたらどうだろう。
人に好かれようなどと思わず、人から孤立してもいいと腹を決めて自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。
自分にとって一番の敵は”自分自身”なんだ。
その敵であり、障害をよく見つめ、そして戦うんだ。
つまり、自分を大事にしすぎているからいろいろと思い悩む。
そんなに大事にしないでよし!
それなら、今度から「好かれなくていい!」と決心をして、自分を投げ出してしまうんだ。
ダメになって結構!そう思ってやればいい。
最悪の敵は、自分自身なんだ。
自分をぶっ壊してやる!というつもりで、それくらいの激しさで挑むんだ。
そうでなければ、今までの自分を破壊して、新しい自分になることはできないんだよ。
人は、自分を客観的に見ているように思っていても、実は誰もが自分のことが可愛くて、大事にしすぎている。
そういう自分をもう一度外から眺めてみるんだ。
なんだ!お前はこの世の中で、豆粒ほどのちっぽけな存在だ。
それが自惚れたり、また自分を見下したりして、嫌になったりしているなんてくだらないんだ!
そうやって、突っ張って、今の状態をありありと見て欲しい。
自分が豆粒ならそれでいい。小さな存在こそが、世界を覆うんだ。
はい!いかがでしょうか。
自分の中で、大事に捉えていたことが如何に小さく、取るに足らないことであるか思い知らされます。
岡本 太郎さんは、本書で何度も何度も自分を大事にしすぎるな!と言います。
緊張する事、給料が下がる事、みんなと違う事をすること、孤独になる事、それは誰だって嫌です。逃げたいです。
でも、そうやって自分の事を箱入り娘のように大事にしすぎると、今の自分を壊せない、新しい自分になれない。
だったら、自分をもっと突き放し戦って行くしかない。そう言われているわけであります。
ただ、誤解のないように言えば、何も日常から離れた突飛な行動をとれ!と、言っているのではなくて、瞬間、瞬間に湧きおこる気持ちを信じて、自分の『運命』にぶつかって行け!というわけですね。
” 幸せ “とは何なのか見失ってしまった人へ
さぁ、そして最後の『テーマ』に移りたいと思います。
『幸せ』が何なのか、よく分からないという人。
なんか急に、深い感じの話しになっちゃいましたけども、幸せとは何なのか。
これについて皆さんも一度くらい、真剣に考えた事はあるかもしれません。
恐らく誰もが「幸せになりたい!」そう思って生きてるのだと思います。
ところが、岡本 太郎さんに言わせれば 『幸せ』とか、『幸福』とか、そういった類の言葉が大嫌いだそうです。
鈍い人間だけが幸せなんだ! って言うんですよね。
ちょっと、この感覚…、理解できますでしょうか。
なぜ、そういう思考感覚になるのか考えてみてください。
これは、「幸せとは何なのか…」という問いを、自分の中で立てて、考え続けたからこその感覚なんだと思います。
どういう事か、というと『幸せ』という言葉の裏をよく覗いてみなさい。
「これで『幸せ』なんだと自分を納得させている部分がないか?」
「本当は幸せじゃない部分があるんじゃないのか?」
「それを直視せず、誤魔化して何事もないようにニコニコしているだけじゃないのか?」
「家がある、家族がある、給料がある、 だから、僕は幸せ?本当か?本当に自分は、死ぬ瞬間に私は生きた!と言えるのか?」
そういう事を言うんです。
岡本 太郎さんは、幸せという言葉の裏の裏まで覗き込んだ上で、そうやって私たち読者に『幸せとは、何なのか』を徹底的に考えさせます。
では、岡本 太郎さん自身は幸せではなく、何を追い求めるべきと考えているのか。
読者としては、ここが気になるところです。それは、幸せなんて言葉では収まりきらない、心の奥底から湧き上がる『歓喜』。
辞書的には、非常に喜ぶことを指しますが、実は仏教用語でもあります。
特に、浄土教においては、自分自身の往生が決定した時の喜びを言い表す際に使われるそうです。
その上で、岡本 太郎さんは『死』とか、『危険』とか、『辛い事』とか、それらと対決した時に、人間は、燃え上がる。
それこそが『生きがい』であり、その時に感じているのは、幸せなんかじゃない。『歓喜』なんだ。
そう言うわけです。
もうちょっと 分かりやすく言い換えましょう。
自分が傷付かない、安全で快適な世界の中に居続けちゃいけないんだ。
そこにあるのは 、『幸せ』という言葉を借りた偽りの世界だ。
自分の心の中を、よく覗いてみるんだ。
そして、心の声によく、耳を澄ませてみる。
本当に、このまま人生を終えて、君は満足できるのか!
ならば、『幸せ』という言葉に惑わされずに、外の世界に飛び出すんだ。
次のレベル…そして、また次のレベルの世界へと、どんどんチャレンジしていくんだ。
確かに先へ進めば進むほど、苦しい。きっと、今より傷つくし、今よりも辛い。
最悪、死に近づくと言っていい。
しかし、そっち側に行かなければ、この世界に生まれて来て良かったと思えるような『歓喜』を味わう事はないんだ。
そういうわけであります。
因みに、名古屋市内のとあるお寺には『歓喜の鐘』という岡本 太郎さんの作品があります。
上に写真出しておきますけど、とんでもなくトゲトゲしております。
ただの飾りかと思いきや、なんと毎年大晦日、除夜の鐘として鳴らされるそうです。びっくりですよね。
さぁ、ここまでの話しを聞いて、もしかしたら…
「岡本 太郎さんのメンタリティ、ちょっと凄すぎてついて行けない」
「むしろ若干、引いています」
という方も、おられると思います。
マインドがなんか世界のあらゆる山を制覇してきた登山家みたいな感じになってますので、恐らく、一般人には、ちょっと理解し難いかな?とも言えます。
ただ、こうやってメーターが振り切った人の考え、限界突破した人の思考を、自分の中に入れておくと 自分なりの『幸福な人生』というものが、客観的に見れて、最定義がしやすくなるのじゃないかな、と 個人的には思います。
岡本太郎流!私たちの生きる社会への提言
さっ、こういった自己啓発的な内容が中心となる 本書でございますが、読み進めますと、私たちの生きる社会に対しても独自の見解を述べられています。
特に、利潤だけを追求する資本主義的な考え方、何でも割り切ろうとする科学主義・功利主義については強く批判をされていました。
「人間はもっと、非合理な存在、決して割り切ることのできない存在なのに、何でもかんでもシステマチックに割り切ろうとする社会を作らないで欲しい」
「人間が生まれて来て、一番痛切に掴み取らなければならないもの…それは『生命感』だ!」
「生身で運命と対決して歓喜することなんだ」
そう言われるんですね。
この言葉を目にした時「はぁ、なんか…岡本太郎さんらしいな」というくらいにしか思わなかったんです。
けれども、何回か読み返してみますと、違和感を覚えたんです。
岡本 太郎さんの代表作である 『太陽の塔』は、万博で披露された作品でしたよね。
あの万博は「人類の進歩と調和」がテーマでした。
正にそれを体現する作品。
象徴する作品として知られています。
実際に、太陽の塔のオフィシャルサイトにも『人間の尊厳』と『無限の進歩』『発展』を表現したものと、紹介されているんです。
つまり、岡本 太郎さんが本書で語っている考え方と、代表作である『太陽の塔』のテーマが逆なんですね。
案の定調べてみたら、『太陽の塔』が人類の進歩発展を表現しているというのは、実は万博のテーマに合わせた表向きの理由、政治的な理由であって、裏には真のメッセージが隠されている、という事が分かったんです。
このまま、資本主義を突き進み『豊かさ』『便利さ』だけを追い求めてはダメだ!
進歩と調和の先には、人間が本当に求めるべき『歓喜』はないんだ。
いずれ人類は、自らの歩みを根本から見直すべき時代がやってくる。
そのように、岡本 太郎さんは全身で感じていたんです。
そこで、彼は何をしたか?
なんと!『進歩と調和』という万博のテーマの真逆をいったんです。
日本で最も古い時代のアート「縄文土器」をモチーフにした作品を、万博会場のど真ん中に突き刺したんです。
『太陽の塔』は、それ故、別名『縄文の怪物』と呼ばれています。
常識のある方はきっと「岡本さん、あなたは世界的な祭典で、何て非常識なことをするんだ!」
そのように言うかもしれません。
でも、岡本 太郎さんは、この本で何度も[無条件で生きろ!]と、言われていました。
「そんな事をしたら、多分怒られるだろうなぁ」なんて発想は、きっとゼロです。
むしろ、万博という世界が注目する舞台で、覚悟を決めて「日本人よ、目を覚ませ!」と、警鐘を鳴らしたんです。
本書の言葉も、生み出した作品も、そして生き方も… 全て岡本 太郎という芸術家の常識に囚われない強い思想が流れているんです。
それを踏まえた上で、この本を手に取っていただければ、いきなり読み始めるよりも何倍も面白く、そして、為になると思います。
さぁ、2025年には大阪で万博が行われますが、一体、どんな世界になっているのでしょうか。
皆さまの明るい未来に『歓喜の鐘』が鳴り響くことを、心より祈念しております。
はい!…というわけで「自分の中に毒を持て」以上でございます。
皆様の人生の一助になれば幸いです。
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